はしなぎの日記

趣味のブログ(まっつー)

"ストーリー不要の時代"を読んだ。

 録画先のHDDの故障により録っておいたアニメが全て逝ってしまいました、"まっつー"です。はしなぎ?あ〜、雑誌のPNにでもしますかね。

アニメ消えたのかなり痛い。なんならその話だけで記事が出来上がるけど書きたいことあるんでそれはまた別の機会にでも⋯。

 

今回はこれ。

ストーリー不要の時代

 

増田にて書かれた"ストーリー不要の時代"って記事。

概要を説明するのも手間だし、俺のブログを読むくらいならこの記事を読んでほしいのでとりあえず読め。読んでください(><)おねがいしますっ!

 

 

 

 

読んだ?じゃあつらつら書いていきますよ。

実際業界を見てるとその傾向が強い印象がある。この人が例に挙げた対象を考えれば分からなくはない。重厚なストーリーがなくとも売れるものは売れるし、流行に合わせたものを作ればそれだけで売れる。そして、もうその時代は遠い昔から既にやってきていて"神話の時代から続いてきたストーリーテリングの時代"を終わらせてしまうのである。

 

そんでこの話をしたら俺の数少ない友人も持論を展開してくれ、掲載許可も頂いたので載せますね。

その通りだ。特にここ数年でストーリーが軽視される風潮が広まっている事実に疑いはない。僭越ながら、ストーリー不要の時代が到来した理由の一考察をそっと載せておくとしよう。
ひと昔は創作物は高尚なものだったと思っている。言ってみれば、供給者(作者)側がストーリーを通して提示する世界観や知識を被供給者(読者)側が理解しようとする構造だった。そこには「俺の世界観についてこれる人にだけ楽しんでもらえればそれでいい」「俺の書く事が難しく感じる人は読まなくていい」という供給者側の思いが少なからずあったに違いない。
しかし現代、大量生産大量消費の時代の到来も背中を押したのだろうが、創作物は専らビジネスの対象としてしか見なされなくなり、供給者側と被供給者側の立場は見事に逆転した。すなわち供給者が被供給者の興味やニーズに合わせるようになった。その結果当然創作物の内容は、万人受けするような安っぽく、薄いものになった。

お察しの通りこの現象は、この記事で取り上げられているアニメ、マンガ、ゲームだけでなく文学のの世界でも起きている。特に最近の大衆小説や新書なんてひどい。話題性を損ねないようにかひと月に1冊ペースで刊行されるシリーズものの小説や、タイトルで釣っているとしか思えない薄い内容の新書はその最たる例である。
こう考えれば芥川賞直木賞、その他文学賞の価値が下がっているのも必然だ。ビジネスが目的になってきているのだから、そりゃ皆が1秒で理解出来ることしか書かないに決まってる。5年前以前の直木賞受賞作に今でも心を深く揺さぶられることはあっても、ここ何年かの直木賞受賞作に心を揺さぶられることは全くない。
「創作の対象が大多数の民衆になることはいいことだろ。適当なことぬかしてんじゃねえ」などと思う人もいるかも分からない。確かにそれは良いことだが、現代日本の場合はその大衆の頭が悪いから問題になっているだけである。

 

アニメ、ゲームといった業界以外でもそういった現象が起こっているらしく、時代を経て「ビジネス」「大衆向け」へとストーリーはアレンジされていき、結果ストーリーの質が落ちている、と受け取りました。違う視点からの意見でめちゃくちゃありがてぇです。しかもなんかインフルにかかりながら送ってくれたらしく感謝しかない。AZMS!

 

この問題の本質としては「ビジネスのためにストーリーが大衆向けにアレンジされている」ということだと思っていて、つまり上記の引用文後半にもあるように"大衆の頭が悪い"ことが問題なんですよね。

元来日本は"基本的に"日本語だけだったんでストーリーを主軸にした作品を作ってもある程度は大衆に受け入れられていたが、言葉だけで心情の機微がわかりづらい作品では大衆の人気に火がつきにくく、逆にわかりやすい内容をテーマにした作品は演出の仕方も合わさり視覚的に作品のよしあしを評価することが出きブームを巻き起こしやすい風潮が出来ていると思います。

この例としてアメリカは英語だけでなくスペイン語もかなりの人が使用しており上記のように耳ではなく目で捉える作品の方が他言語を理解しておらずとも作品を理解し評することができるためビジネス的にも利点が多く主流になっている印象をうけます。

そして、アメリカなどの流行は同時的なコミュニケーションが可能になった現在でも遅れてやってくるもので、視覚に訴えかける作品という流行が日本にもやってきていて、ストーリーをないがしろにしてしまっている傾向が見受けられるのでは、と考えました。

 

とは言っても、大衆の求める作品がストーリーを殺したとしても、まさにこの「ストーリー不要の時代」を読んでTwitterで「ストーリーは必要とされている!!」と声高々に反論している人達がいる限り"ストーリー"は無くなることはないだろう。

こうして「ストーリー不要の時代」に対しての賛否両論が行き交い、話題を読んでいる限り。

 

 

俺、今回の記事で初めて気付かされたので自分の視野がとても広がった気がしますね。物事は捉え方次第でいくらでも変容するとはよく言ったものですが、業界の現状や昔の出来事まで色んな意見を目にしてとても楽しかったです。

 自分としては記事を読み終わった時これからの未来を悲観的に捉え、憂いていたのですがTwitterでの意見を見てみれば作家さんの方々の誰もが反対意見を上げていてまだまだストーリーを作ろうと頑張られている人は沢山いるのだなととても安心しましたね。

これからも応援させていただきます。

 

 

というわけで長々と書いちゃいました。こんな長いの初めて?まあいい。

そう悲観することはないのかな〜ってのが俺個人としての所感であります。大衆さんは知らん。

こんな時間に投稿しているのはこの記事書くのに3時間くらいかかったからです。遅筆で苦労が絶えない。

ではまた次の機会に。