はしなぎの日記

趣味のブログ(まっつー)

「四畳半神話大系」感想

森見登美彦四畳半神話大系読みました。

夜は短し歩けよ乙女」もちょっと前に読みまして、その流れで今作も読んでみたらこれがなかなか俺に刺さりましてね。忘れないうちに感想を書き留めておこうと思った次第です。

読書メーターにも感想は投稿したんですが、やっぱり長く書くとなるとブログの方が具合が良い。

 

感想

私には小津がとても輝いて見えた。4つの並行世界を渡ることなく全ての可能性を一度で手にした小津は主人公の4倍は優れているように感じる。

ではどこでこの2人は袂を分かたれたのか?

不可能性の示唆に囚われずに行動した小津は一度に全てを手に入れ、可能性の檻に囚われた主人公はいつもパッとしない未来に帰着する。結局は自分の不可能性を定義付けないことが肝要ということか?

 

友人に意見を仰ぐ。

「あの中の登場人物みんな変人だし主人公も小津も大差なくね?」

──全く信じたくはないが、もしかしてそうなのか?

となると結局この作品は、似たもの同士の友人を大切にしましょうだとか、並行世界すげー!wとか、「結局何を選択しても未来はあんま変わらんw」とかそういう安っぽいことを言いたかったのか?

いやいや、それでもやはり俺は主人公の一番近い存在である「小津」は、それでいて一番遠い存在でもあるのだということを考えたい。不可能性の示唆一つで未来は変わるということを主人公の一番近くで体現した男こそが「小津」であると思う。ラストで初めて主人公の方から「小津」に愛を語った()シーンこそが二人の関係性の美しい対比になっているように感じる。

 

 

 

とは言っても俺は主人公のようなくだらない陰キャの身。結局最後には明石さんとの恋を成就させちまう主人公が憎くて仕方ないのさ⋯⋯。

 

「成就した恋ほど語るに値しないものは無い」

とは本文からの引用であるが、これr18ノベルゲームとか萌えラノベ否定してませんか?w

成就したらそれで物語が終わる訳もなく、むしろそこからがスタートといってもいいし、心情の機微を描写することこそ語るべき情緒というものだろう。それを「語るに値しない」とは何事なんですかね。とは言いつつも語感はいいし、何しろこの物語のテーマからはその恋模様が外れるのは分かるので私は好きな文章ですね⋯。

 

 

一話から順々に並行世界を探索する訳ですが、二話三話とどんどん陰キャ街道を進んでいくのはとても面白い構成だと思うし、最終話「八十日間四畳半一周」ではもはや完全に引きこもりと化し、あの四畳半世界も重度の引きこもりを比喩的に面白おかしく描いただけのようにしか見えずなかなか皮肉が効いているといった印象。

孤独を持って初めて他者の重要性を知るのは鉄板といえばそうですが、比喩にしてもSF的な世界観を伴って軽妙な語り口も入り交じった今作は中々に楽しめる。

 

 

 

それと読書メーターの感想覗いてたら「薔薇色のキャンパスライフはどんな選択をしたらたどり着けたんだろうなw」的なコメントがあり価値観の違いに絶句してしまう。「薔薇色のキャンパスライフ」とは人によって違うものであり、普通とは違う価値観を持つ主人公からすれば一般的に想像されうる「薔薇色のキャンパスライフ」を夢想したところで意味をなさない。主人公はそれを根本的に勘違いしていたように感じる。薔薇色かどうかは客観で測れるものではなく、どこまでいっても主観でしか測れないんですよ。言ってしまえば、引きこもった自分を肯定できさえすればそれは「薔薇色のキャンパスライフ」だと思います。自分にとっての理想が何なのかを確固とした意志を持って確定させていれば三回生にもなって2年前のサークル決めの選択をうじうじ悩むこともなかったろうに。

まぁそんなことをきちんと見据えた人間がいるとすれば恐ろしいんですがね。俺も主人公のように選択を未だに後悔することはあるわけで。人のことは言えないが、仲間意識を持ってしまう。小説を読む時、主人公やキャラクターに感情移入してしまうと物語を都合のいいように解釈してしまうことはありがちなので気をつけたい。

 

 

 

うおおおおお!

今回はこんなところかしらん。

書きたいことはかけたかな。

細かく書こうと思えば延々と書けちゃいますが、そういうのって語るまでもないというか、この本を読んだ人間の共有知、コンテクスト的なものとしちゃった方が美しいかなとも思うんですよね。語らない美学というか。

 

まぁそんなこんなで。最近r18ノベルゲームやってるんでそっちも書くことできたらブログ更新したいと思います。一応下書きは出来てるんで、やる気が出たら更新します。

それではっ!w