はしなぎの日記

趣味のブログ(まっつー)

教養は大切っぽい

何やかんやで俺がブログをやってることをゾッとしない知人に知られました、"まっつー"です。

ま、いつも通り書くだけですな。

 

生きてく上で"教養"って大切だよね。まあ、できたらかっこいいくらいの事かもしれんが知ってるとかっこいいことってかなりあるわけで。

俺自身、隠し芸なんかを練習しようとするぐらいには他人に求められた時にきちんと返したい人間なのでなにか聞かれたらその質問に答えられるくらいの教養も持ち合わせたいなっていう超主観的な話になってしまうのだけれども、このブログでは自分が世界の中心であるかのごとく物事を語り日々を記していくのでこまけえこたあきにすんな!

 

教養とはなんぞやって言われそうなので引用すると、

教養(きょうよう)とは個人の人格や学習に結びついた知識や行いのこと。──Wikipedia

うぃきさんゆうしゅう。

これを見ると勉強した上で学んだことを生活に結びつけるまでをワンセットとして教養と言うっぽいですね。知らんけども。

そんな小難しいことを言わんでも俺の感覚では「イスラム教の聖典である"コーラン"を"クルアーン"と呼ぶか否か」くらいの軽いものを考えていて、そんな特殊なケースでなくとも日本史をどこまで詳しく知っているかとかプロレタリア文学の傑作はなにか、社会にもたらした影響とは、といった人生に必要としないが人生を豊かに送るために必要な知識を教養、と捉えてる。

 

話は180度回転するが教養のある子を「お利口さん」と言うが、"利口"って嫌な言葉じゃないか??口を利ければ優秀なのか?大人のいうことに素直に従える子を頭がいいと褒め称えるのか?それは違うと思うので俺はなんか嫌いですね。

それと同じで"子供"と"子ども"の表記の違いとかも最近変わってきている印象を受けますね〜。簡潔に説明すると「供」は「供物」であり、子どもは生贄にされるから〜といった意味を持ち合わせてるとされてるからですね。

 

話戻します。

なので勉学に励もうとなんだろうと全ては自分のためなのであって、教養のない人間とは自分のためでさえ努力をできない人間になってしまうなぁと心底救われないことになってしまうこの理論は一体どこで間違ってしまったのやら。アダムとイブがりんごをかじっちゃったとこからもう間違いだったかも。

 なんかもう何書いてんのかよくわかんなくなってる。

教養だなんだと語る俺自身が教養がなかったというオチもついたところで!

今日は終わり!なにを書いてんのやら。

 

なにか書きたいことがあっても数行で終わるし、膨らましたら中身ないしでこりゃだめね。オムニバス形式で行くこともあるかも!

 


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はい。1/25のニコニコの改善報告会のアンケ。スマホで申し訳ねえ。意外に高くてビビる。川上が辞めたら会社も良い方向に進み始めてるしやっぱトップがクソだとどうしようもねえな。ニコニコがんばってね〜